Dの頭文字の意味は別にある
作者に悪意は全く無いのだけれども、その意図に反してどうしても受けて側に悪影響を及ぼしかねない物というのは実にありふれている。
最近は娯楽作品においても・・・それはゲームだったり映画だったりするのだが、注意書きに「この作品は青少年に悪影響を与える恐れがあります」とか「残虐なシーンや映像が流れる事があります」とわざわざ注意書きをされている程だ。
そうであるならば、元よりそんな物を作るなという話になるのだが、それこそ表現と言う人間の持つ芸術の感覚を去勢する事になりかねない。
例えばの話だけれども、人間のツボを突いて妙な断末魔の悲鳴を残して爆発させる作品がありますが、これを見てツボをついてみようと悪ふざけをする人はいるけれども、実際に人間は「たわばっ!」とか叫んで爆発しませんよね?
コレは真似をする人も有り得ないとわかっているし、実際に人間が爆発する描写はグロテスクだけれども、それはねーよとある意味笑いとして受け取れると思うんです。
でもコレが中途半端に現実味を帯びていたらどうでしょうか?
きっと誰某がした何某は自分にも出来るんじゃないか?と勘違いしてしまうと思うんです。
皆さんも胸の奥に潜んでいる子供の頃の記憶をよーく探ってみてください。
心当たりがありませんか?
あたしはありますよ。
二重の極みを練習してみたり、必殺仕事人ごっごと称してピアノ線で物を吊る練習とかね。
・・・・・・み、見つめるなッ!そんな目で見つめるなッ!
つまり何が言いたいかと言うと中途半端なリアリティは、誤った認識を与えると言う事ですね。
ちなみに最後にしでかした痛い思い出は今から5年前くらいですかね。
当時とある暴走とうふ屋漫画に出てくるRX-7というクルマを知人と共同でちょこっとだけ乗り回していた時期があったんです。
その暴走とうふ屋漫画には”溝落とし”という知る人ぞ知る、勘違いドライビングテクニックがありまして、それがどんな物かと言うと、クルマの運転中に遠心力に耐える為に舗装道路の排水用の窪みや段差にタイヤを引っ掛けて高速でのコーナリングを行うという物なんですよ。
実際のラリー等でも行われるというので勘違いしてしまう人が多いのですが、実際の場合ですとタイヤを引っ掛けると言うより一部をショートカットの要領で通過するだけで、溝をそのまま走るのとは違うんです。
ところがその描写と説明が中途半端にリアルな物だから、どれ、いっちょやってみようかという事になり結果見事な自爆事故を起こしてクルマ一台がパーになったのはもう本当にどうしようもない思い出ですね、本当にありむがとうございました。
こんな具合に自爆事故を起こしたのはあたしだけではないようで、他には日光いろは坂で本当に空を飛んでしまった人とか、深夜の峠道で無灯火運転をして事故を起こした人とかが結構な数で出てきてしまったものですから、作者に悪意は無くても暴走とうふ屋漫画は知識も何も無い青少年に悪影響を与えてしまっているのでしょう、因果な物ですね。
今日もまた暴走とうふ屋漫画の犠牲になるであろう少年を見つけました。
何か語ってるんですよね、下りなら86はGTRにも勝てるとかね、もう聞いてらんない。
そんな風に考えていた時期があたしにもありました。
そしてその少年が口にしたこの言葉が忘れらない。
「なあなあ、頭○字DのDってどういう意味か知ってるか?ド”ラ”フトって意味だよ」
少年よ、あの作品はいつから深夜の山道でスポーツ選手をスカウトする作品になったんだ。
カテゴリ : 日記