これはセミナーだ
忘年会だったんですよ。忘年会という名の収支発表会兼勉強会だったんですよ。
何が悲しゅうて休みの日にそんなん出なきゃならんの・・・?
悲しいけどこれ仕事なのよね。
で、事は勉強会で起こったんです。
ウチの病院は毎回外部から講師を招いて、顧客サービスの向上がなんたるか、とかやるんですが今回の講義で難病の子を対象とした事業が紹介されました。
なんでもその子の夢を叶えてあげるとかなんとか。
後天的な物はいざ知らず、先天的に判明している難病を承知で産んでこの子は私を選んで生まれてきたとかふざけんなと思います。
親がいる内はいいです、しかしその親が死んだらその子はどうなりますか?
誰が面倒見ますか?そういう子供はそもそも各種臓器の発達不良も併発しますし予後も当然良くない。
些細な事で体調を崩し、普通の町医者では手に負えないケースが殆どです。
と、なるとそれなりの規模の医療サービスを受けられる所に行く事になりますが、優先すべきは生産性の高い人の治療です。
なぜならそうした方が最終的には経済の為になるからです。
日頃仕事でもう助かる見込みの無い人に過剰とも言える治療に処置を施してくれと言われる事は多々ありますが、正直もったいねーと思ってます、医療費と人件費の無駄です。
しかしサービスと割り切ればお金をその分貰うわけですから、頼まれればやりますよ。
やりますけどもう終わりが見えてる医療に何の意味があると言うのか。
アンチャンさんは健常者だからこういう事が言えますが、ウチの親はもしも自分がダウンや後天的に障害を持ったら殺して自分も死ぬつもりだったと真顔で言います(これ前にも言いました)
話の中で人は誰でも誰かの為に生きている、意味の無い命なんてない、なんて何処かで聞いた様な言葉が出ましたが、どうでしょうね。少なくとも生保の不正受給者とかニートとか全然役に立ってないでしょ。
と、無表情で話を聞いていたのですが周りからすすり泣く声が聞こえてきて、あれ?ひょっとして感覚おかしくなってるの自分だけ?と思ったとかなんとか。
だって患者一人一人に感情移入してたらコッチがもちませんよ、実際にそれで失敗しましたからね。
仕事である以上一定の線引って必要だと思います。
まあその分の報酬を頂けるなら話は別ですが、大抵そんな事はないですからね、貰える報酬の中での対価として時間と効率を考えた配慮をするのが仕事だと思います、それ以上をするのはボランティアであって、仕事ではない。
今日はこんな風に考えてる医療従事者も世の中には1人はいるよって話でした。
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